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2011年1月12日 (水)

映画『ノルウェイの森』

お正月休みの最後の日に、『ノルウェイの森』を観に行きました。セソコも以前書いていましたが、観たいような観たくないような気持ちだったのですが、生憎、他に観たい映画が見当たらず。

既にこの映画を見た周囲の評価は、「良かった」と「良くなかった」に二分される感じで、これは原作が発売当時、それを読んだ人々が「直子派」と「緑派」に真っ二つに分かれていたのとなんだかよく似ています。やれやれ。

勿体ぶっても事態は好転しないので僕の感想を言ってしまうと(まだこの映画を観ていない人で、しかしこれから観ようと思っている人は念のためこの先は読まないでください。僕の言葉があなたの幸せな映画鑑賞の時間に影響を及ぼすほど力があるとは思っていないけれど)、原作の行間に漂っているムゥドが、うまく映画の中で表現されているなあ、と感心しました。とはいえ、原作を読んだのは四半世紀近くも前のことなので、はっきり言えばあまり覚えていないのですが、映画を観ていて、こんなセリフがあったような気がするなあ、主人公のワタナベはこんな男だったよなあ、と自然に思えてきたのです。トラン・アン・ユン監督は言うまでもなく日本語を母語としない方で、その彼が、日本語の細かいニュアンスや間を、どうやって演出したのだろうと不思議にさえ思いました。

画も僕は好きで、じめっとした退廃的な空気の中に耽美な光が浮かび上がるような映像は、ずっと観ていても飽きない感じ。いちばん好きなシーンは、ワタナベが直子の部屋でふたり、向かい合ってヨーグルトか何かを一緒に食べるシーン。幸せの隣に絶望がある感じ。何もかも許せて、全てを許せない感じ。どうしようもなく日常な感じ。

しかし観ていてどうにも解せないシーンがあって、それは直子が死んだ後、ワタナベが海岸で泣き叫ぶシーン。こんなシーン原作にあったかな? と思い、映画を観た後、書店でその部分だけ立ち読みをしたのですが、あったのです。確かにワタナベは、直子が死んだ後、ひとり、ウイスキーを飲みながら海岸を彷徨っている。しかし、原作では大声で泣き叫んではいない。僕は映画の中で泣き叫ぶワタナベを見て、どうにも違和感を感じたのです。

このシーンとそれまでのシーンが共犯関係にあるからこうなったということはわかるのですが、もっとほかの方法はなかったのかと。あるいは、何か別の意図があったのか? いや、もしかしたらトラン・アン・ユン監督によるフェリーニの『道』へのオマージュなのか?

まあ、こんな詮索めいたことに時間を費やすのも映画の面白いところで、原作と見比べたりするのも楽しく、全体として好きな映画でした(YMOのおふたりやイトイさんがカメオ出演するお遊びも好き)。

え? 原作と離れたところで観たらどうだったかって? よう離れられまへん。

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