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2011年1月18日 (火)

映画『ソーシャル・ネットワーク』

ゴールデン・グローブ賞が発表されましたね。Facebookの誕生を描いた『ソーシャル・ネットワーク』が、最優秀映画作品賞、脚本賞、監督賞、作曲賞の4部門を受賞しました。ちょうど土曜日にこの映画を観たばかりなので、ちょっとその話を。

この映画は、いまでは世界最大のSNSとなったFacebookの誕生秘話を描いたものです。言い方を変えれば、アメリカンドリームが実現される過程を描いているわけですが、“そういった”部分には一切感情移入できないのです。例えば、Facebookの登録者数が100万人を超え、社員がオフィスで歓喜する場面があるのですが、一緒になって喜べない。

物語はふたつの時間軸で進行します。ひとつは、Facebookの誕生前夜から、それが社会現象になるまでの物語を時系列で。もうひとつは、その後、創始者のマーク・ザッカーバーグが被告となるふたつの裁判(の手前の弁護士を交えた示談)の場面。この裁判の原告は、まさにFacebookの誕生に協力やアイデアを貸した友人たちなので、観客は誕生の物語を追いながら「いずれ彼らが対立することになるのだな」とわかってしまう。だからこそ、“成功物語”としては感情移入できない。

逆に言えば、それは監督のデヴィッド・フィンチャーの思う壺で、そうすることによって浮かび上がってくるこの映画のテーマがあります。それは、「孤独」。主要登場人物すべてがみな、どうしようもなく孤独なんですね。

映画を観ながら観客は、マーク・ザッカーバーグに感情移入したり、共同創始者のエドゥアルド・サベリンに感情移入したり、あるいはウィンクルボス兄弟に感情移入したり、ぐるぐる回ってしまうのですが、いずれ彼らが袂を分かつことをわかっているからこそ、彼らの孤独が浮かび上がってくる(デヴィッド・フィンチャーの映像にも常に孤独感が漂っている。それは美しくて恐ろしい孤独感)。そして、その「孤独な人々」が生み出したものが、人と人をつなげるFacebookだったというのが、パラドキシカルで面白い。最後のシーンはまさにそのことを表現していて、僕はこのシーンが好きで、なんだか救われるような気持ちになりました。

孤独というものは常に僕たちの日常に横たわっていて、ときにはそれが目に入らないこともあるけれど、それはたまたま死角に入っていただけで、常にすぐそばに横たわっています。それは「良い」とか「悪い」とかいうものではなく、いつもそこにあるのだからうまいこと付き合っていかなければならない。孤独と刃物は使いようとでも言うのでしょうか。

ちょっと話はそれますが、僕は独立するまでに4社、サラリーマンとして勤めたのですが、組織というのはそれを構成する人々の数が多くなればなるほど、それに反比例するように、そのトップは孤独になって行くように感じます。Facebookが象だとしたら、手紙社はアリのたまごみたいなものですが、こんなに小さな手紙社を曲がりなりにも率いる僕にさえ、そういった孤独感は常にまとわりついているのですから、マーク・ザッカーバーグの孤独や計り知れずです。

それにしてもFacebookはなぜ日本でブレイクしないんですかね? 映画の中では「Facebookはクールだ」と言われていましたが、少なくとも日本語版(日本語版になった時)はクールじゃないですよね。インターフェイスもわかりにくいしデザインもイマイチ。思い当たる理由としてはこれがひとつ。もうひとつはプロフィール。結局はこの部分がFacebookの柱になっていると思うのですが、プロフィールを書くという行為は(特にFacebookの場合はリアルなプロフィールを書かなければいけない)、言ってみればザッツ自己表現みたいなことで、日本人は苦手なのかなぁ…。あとは英語圏ではないというところですよね。英語圏の人々にとっては「Facebookに登録していないなら友達になれない!」という塩梅らしいですが、僕たちには現状そこまでの必要性はないですもんねぇ。

このあたりどうなんでしょうか? みなさんの意見をお聞きしたいところです。

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