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2011年1月11日 (火)

リトルプレスって何?

木曜日から日曜日にかけて、京都~香川~徳島~高知と旅をして来ました。京都では、恵文社の店長である堀部篤史さんと「リトルプレス」をテーマに対談をさせていただきました。この対談は3月発行予定の石川理恵さん(著書に『展示・ものづくり はじめの一歩―小さな発表会をひらこう』)の新しい著書に収録される予定なのですが、対談前の数日間、リトルプレスのことばかり考えていたので、まとめておこうと思います。

「リトルプレス」の定義は曖昧です。おなじようなニュアンスを表すものとして「自費出版」や「ミニコミ」や「ZINE」という言葉がありますが、それらとの境界線は非常に曖昧です。しかし、それぞれ別の言葉が存在しているわけだから、それぞれ意味があるはずです。では、リトルプレスの定義とは? 僕はこう考えます。「リトルプレスとは4つのリトルを満たす出版物である」と。4つのリトルとは何か?

1. 発行部数がリトルである
2. ページ数がリトルである
3. 編集部がリトルである
4. 体裁がリトルである

4つめのリトルは、「小さい」という意味のリトルではなく、「かわいい」という意味のリトル。つまり、雑貨的かわいさや美しさをもった本という意味です。

こう考えて行くと、ひとつの本が思い当たるはずです。『アルネ』です。2002年に創刊されたこの本は自費出版やミニコミ誌の枠の中に入り切らない独特のムードを持っていて、今考えてみると、リトルプレスという言葉はこの本のために生まれたのではないかとさえ思えてきます。実際、この本が創刊された後、「アルネのような本=リトルプレス」が雨後の筍のごとく出て来ます。その多くは、堀部さんの言葉を借りれば「共感型」のコンテンツを柱とし、共感を獲得するために作り手(編集・発行者)がフィールドとしたのは「暮らし」でした。「私が暮らしの中で出会った素敵な人・モノ・コトを、読者の人にも素敵だと思って欲しい」。それこそがこれらのリトルプレスの基本理念だったように思います。

しかしやがて、その多くは撤退を余儀なくされます。 採算がとれなかったから、と言ってしまえばそれまでなのですが、「同じようなものが作られ過ぎた」のです。アルネのようなリトルプレス(しかし、内容的にも流通販路的にもアルネを超えられない。また作り手が大橋歩”ではない”)がたくさん出現したことにより、共感の価値が薄まったのです。それがわかりやすい形となって僕たちの前に提示されたのが2009年12月、アルネの休刊です。ありていに言えば「共感型リトルプレスブーム」の終わりと言えます。

逆にいえば、このブームの時代を過ぎてからも発行され続けているリトルプレスこそが、今後のリトルプレスの方向を指し示しているとも言えます。結論から言ってしまいます。僕は、これからのリトルプレスに必要とされるキーワードは「偏愛」だと思います。単なる「愛」がつまったものは、そこらじゅうにたくさん落ちていて、いつでも拾い食いができるので、もうお腹いっぱい。リトルプレスを商品として考えたとき、コンテンツのボリュームに対して、その価格は決して安いものではないので、もっと研ぎ澄まされたもの、もっと特化したものが読みたい、見たい。他では読めないものが読みたい。作り手の偏愛が見たいのです。

そういう意味で、アルネなき後、今のリトルプレスの代名詞となるような本が3冊あります。1冊目は『てくり』。盛岡のお店や作り手を丁寧に取材し、美しい写真と文章で綴るこの本から見えてくるのは、まさに「盛岡への偏愛」。2冊目は『murren(ミューレン)』。「街と山のあいだ。」をテーマにしたこの本から見えてくるのは「山や自然への偏愛」。たとえば7号の特集テーマは図譜。いいでしょう、この偏愛っぷり。2冊とも「4つのリトル」の条件を満たしていて、心地良い偏愛がある。競合誌がなく、本としての完成度が高い。現在発行されている中で、代表的なリトルプレスと言っていいと思います。

もう1冊忘れてやしないかって? 忘れていませんよ。3冊目は『ユルリナ』です。ご覧になったことがある人も多いと思いますが、この本は「共感型」の本と言えます。しかし、完成度がとても高い。ブームなどには関係なく良いものは残る、という事実を体現している本と言えます。毎号特集主義で作られるこの本は、それぞれの情報が信頼できるもので(という風に見える)、独自の視点を持っていて、最初から最後まで絶妙にパッケージングされている。洗練はされているけれど手づくり感があり、良質の一冊の絵本を読んだときのような読後感が残るのです。そして、実はユルリナにも偏愛は漂っている。それは、暮らしに対する偏愛。「毎日、なんとしてもかわいく、楽しく暮らしたいんだ!」という気合のようなものが本全体から漂ってくるのです。

この時代、メジャー雑誌の編集長でさえ、自分が好きなように本を作れるわけではありません。広告部や販売部からの圧力もあり、総合的に”危なくない”本が出来上がる場合が多いのです。一方、リトルプレスは、隅々まで自分が作りたいように作れる本。他の人には負けない、ある対象への惜しみない愛を注いでいる本こそ、僕たちは読みたいと思うのです。

対談のときには話ができなかったのですが、「自分ならこんなリトルプレスを作りたい」というテーマでいくつかアイデアを考えてみました。

1. 漬物をテーマにしたリトルプレス(日本中の田舎に行って、地元のおばあちゃんに教わった漬物のレシピなどを紹介する)
2. 漫画家リトルプレス(毎号ひとりの漫画家を徹底的に取材する本)
3. 珍しい、しかし興味深い、物語性のある職業の人を取材するリトルプレス(クラフト・エヴィング商會の『じつは、わたくしこういうものです』のノンフィクション版みたいな)
4. 東京をひとつの地方として捉えたリトルプレス

どうですか? 読みたいものありますか? とはいえあくまでアイデアとして考えただけで、いま、これらの本を死ぬほど作りたいわけではないので、実現性は薄いのですが。

それよりも最近僕が注目しているリトルプレスの話を…おっと、その話は石川理恵さんの本の中に出てくると思いますので、どうぞお楽しみに。

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