椿野恵里子「カレンダーと旅の展示」
この人は、本当に表現者なのだなぁと思った。
今年6月に発売された、椿野恵里子さんの初めての著書『風景のあとに―カレンダーのくれたもの』を読み終えたとき、そう思った。実は、初めて本を手にした時、僕はなかなかそれを開くことができなかった。なぜなら、椿野さんの書く文章を読んで、もし、“何も感じなかったら”嫌だな、と思ったからだ。
僕は椿野恵里子という人の感性を敬愛している。椿野さんのつくり出すものを敬愛し、信頼している。椿野さんが撮る写真、椿野さんが選ぶもの、椿野さんが活ける花、椿野さんがつくり出す空間…。それらはいつも僕に、何かを感じさせる。日々の暮らしを慈しむことの大切さや、美しいものに囲まれて暮らすことの尊さを、彼女の素晴らしい“表現”が、いつも教えてくれる。
しかし、文章は別だ。昨今、著名な作り手やクリエイターがその暮らしぶりを綴ったエッセイや文章を目にする機会があるが、それらの中には、これは本当に読者にお金を払ってもらって読んでもらう文章なのだろうか、と思わせるものも多い。
だから、椿野さんの本を手にした時、なかなかそれを開くことができなかった。もし、椿野さんの文章を読んで、何も感じなかったら…。しかし、その心配は杞憂に終わった。椿野さんにとっては、「カメラ」や「花」と同じように、「言葉」も、彼女の感性や生き方を表現する“武器”になりうるものだった。
これからもきっと、椿野さんの表現の世界は、どんどん広がっていくのだと思う。僕はずっとそれを見続けていきたいと思うし、多くの人に見て欲しいと思う。
最後に、先月の初め、椿野さんのインタビューをした翌日、「今日のお手紙」で書いた文章を転載させていただきます。みなさん、もみじの季節、椿野さんができたばかりのカレンダーを携えて再び大阪からやってきてくれます。彼女の表現を、彼女がつくり出す世界を、ぜひ間近で見つめてください。
彼女は、散りゆく花を慈しむように、その風景を写真の中にそっととじこめる。彼女は、移りゆく季節を惜しむように、その風景を写真にそっととじ込める。彼女によってとじこめられた風景は、やがて、「カレンダー」に生まれ変わる。
花も、季節も、カレンダーも、時の流れとともにその“命”を終えるもの。そして、時の流れとともに、新たに命を宿すもの。
昨日、インタビューの途中、彼女は言った。
「花も季節も終わるけど、本当の終わりではないし、ぐるぐるまわっている。そして、その中に人間もいて、ぐるぐるまわっている」
彼女の写真の中には、移ろうことを運命づけられたものたちがもつ儚さがとじこめられているように思う。そしてだからこそ、それらが放つ刹那の美しさがとじこめられているように思う。
彼女の初めての著書の中に、こんな一説がある。
『花のすべてを写すことは、たとえ一生かかってもできないかもしれない。それでも、その花のすべてを描きたいと思うほどの心の揺れを、写真に込めたいと思っている』(P51より引用)
椿野恵里子さんのカレンダーづくりは、今年で9年目を迎える。
*椿野恵里子さんに聞きました
Q1. 今回のもみじ市では、どんな作品を発表しますか?
出来たばかりの2009年のカレンダーを持って行きます。
今回も花と果実、器と骨董というテーマの2種類です。
もみじ市で買って下さった方には、小さなおまけを差し上げたいと思っています。
それから、印刷の際に出来た紙の余白で、シンプルなノートのようなスケジュール帳を初めて作りました。こちらもお披露目いたします。
Q2.「旅と音楽」というテーマに合わせた作品があれば教えてください!
「旅の展示」
旅先で出会ったもの、旅の写真、こころに残った風景、そして今回の旅先であるこのもみじ市という場所で出会ったもの。そのすべてが混ざり合って、自分の心の中にある風景をかたちにしたいと思います。この場所で2日だけ生まれるものがどんなものになるか自分も楽しみです。
Q3. 新しい場所で開催されるもみじ市をどんなふうに楽しみたいですか?
新しい場所で新しい作り手の皆さんと来てくださる皆さんとの沢山の出会い…、その場所で直接自分の手から作ったものを手渡しできることをこころから楽しみたいと思います。
Q4. もみじ市の宣伝部長になったつもりで、来場されるお客様にメッセージをお願いします!
今まで何度か来てくださった方はもちろん、初めての方はぜひとももみじ市へ遊びに来てください。 旅するように、沢山の人たちと、手から生まれるものたちと、心地よい音楽に出会えると思います。
*さて続いては、新しいもみじ市の会場に最も近い出店者の登場です。1カ月前、もみじ組の舌をうならせたのは…
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