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かわしまよう子+南風「本+いろいろ屋」

誰もが、何かを見て美しいと思う心を持っている。でも、何を美しいと思うかは、人によって違う。かわしまよう子さんが美しいと思うのは、道端に生えている雑草だ。アスファルトの裂け目から顔を出す小さな花だ。

Kawashima

はじめてかわしまさんが撮った写真を見たとき、その美しさと儚さに胸を打たれた。そこに写る草や花の気高さや、それらを慈しむ気持ちが、すーっと心に沁み入ってくるようだった。透き通るような静寂の中にも、強い意志が見えてくるような写真だった。

今から4年半前、そんな素敵な写真を撮るかわしまさんと一緒に仕事をしたくて、当時かわしまさんが暮らしていた、多摩川に程近いご自宅に会いに行った。小さな部屋の真ん中に、ピンと背筋を伸ばしてちょこんと座るかわしまさんは、ユーモアがあって、とてもかわいらしい人だった。でも、その小さな体からは、しなやかなエネルギーを発していたように思う。彼女が撮る写真と同じ、静寂の中にも、強い意志が見えてくるような人だった。

かわしまさんが話してくれたことの中で、忘れられない言葉がある。
「いつか、ゴミ処理場で展覧会をやりたいんです」

『はなのほん』 『草かざり』など、かわしまさんの著書をご覧になったことがあるだろうか? あるいは、かわしまさんの展示をご覧になったことがあるだろうか? トイレットペーパーの芯、お弁当用のプラスチック製しょうゆ入れ、納豆のパック、さびだらけになった鍋や茶こし…。それら、“捨てられてしまうもの”に飾られた草や花たち…。

かわしまさんは、たくさんのものが(まるで、最初から捨てられるべき運命だったかのように)捨てられてしまうことを、憂いている。でも彼女は、その思いを、声高に叫ぶのではなく、彼女にしかできない“表現”に託す。しょうゆ入れやさびだらけの茶こしに飾った草や花は、とても可笑しくて、美しくて、切ない。強いメッセージを放つそれらを、僕たちは見逃すことはでいない。

いつか、ゴミ処理場でかわしまさんの展覧会が実現したら、どんなものになるのだろう? そこは、かわしまさんにとって、表現の素材の宝庫だ。そしてそれは、それだけ多くのものが捨てられているという現実をも表している。しかし、忘れてはいけない。捨てられたものであふれかえっているゴミ処理場にも、草は生えているはずだ。ゴミの間からも、花が顔を出しているはずだ。

かわしまさんは教えてくれる。どんな場所でも、草や花は生きているということを。どんな場所で生きている草や花も、等しく、美しさと気高さを持っていることを。アスファルトだらけの都会の真ん中にも、あなたが毎日通る道端にも、草や花は生きている。

もちろん、多摩川の河原にも。

*かわしまよう子さんに聞きました

Q1. 今回のもみじ市では、どんな作品を発表していただけるのでしょう?

これまで作ったものや沖縄で出会ったものをほんの少し披露します。書籍、冊子、ポストカード、小さな鉢植えグッズ+沖縄で作ったお茶(こちらはマイカップご持参の方のみの予定)、友人が作ったシーサーなど。冊子シリーズ13冊目になります待望の新作、「さんぽのほん 一乗寺の号」をどこよりも早く販売できるかも。

Q2. 「宝さがし」というテーマに合わせた作品があれば教えてください!

まだちょっと考え中ですが、一点ものの鉢に小さな緑を植えたものにしようかと。緑はわたしたちの宝ですから。

Q3. もみじ市をどんなふうに楽しみたいですか?

大好きな多摩川の風景と、普段はなかなか味わえない(いつもは人気のないところを探して出かけるので…)活気に満ちた空気を満喫すること。普段会えないひとたちとお話しができるのも楽しみにしています。

Q4. もみじ市の宣伝部長になったつもりで、来場されるお客さまにメッセージをお願いします!

マイバック、マイ箸、マイカップなど、持ってこれる方は持ってきていただけるとうれしいです。割れ物を買いそうな予感のする方は、エアパッキンなどの梱包材もお忘れなく。“出会い”を楽しみにいらしてください。

*さて続いては、世界にひとつしかない、かわいくて丈夫な靴を作ってくれる、あのおふたりの登場です!

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